目をつけられる人は、「接続詞」の使い方がヘタという特徴がある

にらむ女性 心理学

 なぜか目をつけられやすい人っていますよね。

 目を付けられやすい人は、客観的に見ると特徴的な言葉使いをしていることがあります。そして、言葉尻を捉えられて相手を怒らせたり、冷たい対応をされる事になります。

「そんな事を言ったって、なにが悪いのかわからない!」

 そんな方のために、意識しにくいけれど、とても危険なワードを紹介したいと思います。それは「でも」「だって」の使用です。

「でも」「だって」の使い方を間違うと簡単に目をつけられる

危険な接続詞

 「でも」「だって」は接続詞と呼ばれるカテゴリーの言葉です。

 接続詞とはたとえば、「そして」「だから」「それから」など文章の前後に置く言葉ですね。無意識に使っていることが多いので理解しにくいかもしれません。むしろ英語の方がわかりやすいかもしれませんね。「Because」とか「However」とか「But」とかです。学校で習いましたね。

 「でも」「だって」も立派な接続詞になります。ですが、目をつけられる人はこの接続詞を非常に危険な使い方をしてしまっているのです。

コミュニケーションに影響していることは理解しにくい

 とは言っても、「でも」「だって」を頻発する人は印象があまり良くないなぁと感じるくらいで、何が悪いのか具体的には理解しにくいでしょう。接続詞にはそういう特性があります。

 普段から皆さんも特に意識せずに「こういうことがありました。そうそう、それからこんな事もありました」などと接続詞を使っていると思います。無意識、だからこそこれは非常に危ない。敬語がうまくない等であれば意識して修正できます。ですが意識ができない事は修正が難しいのです。

 たとえば、あなたは「それから」がどういう意味か説明できますか?そう言われると「ん!?」と思った方が多いのではないでしょうか。先ほどの例で言えば、「こういうことがありました。それから他にこんな事もありました」でも文章として意味はわかりますよね。接続詞は無くても話の意味は通るのです。

 では、接続詞に意味などないのでしょうか?

 そんな事はありません。夏目漱石なんて「それから」というタイトルでニートが主人公の傑作小説を書いているくらいです。お札になるくらいの文豪が意味の無い言葉をタイトルにするわけがありません。

 私たちは接続詞の影響を無意識でも理解しており、使いこなしています。ですが地雷を踏んで目をつけられやすい人は接続詞の持つ意味を理解するのが苦手なので、簡単に目をつけられてしまうのです。

目をつけられやすい人は「だって」「でも」を多用するという特徴がある

 たとえば、「なんでこの仕事をやらなかったんだ!」と先輩に言われたとしましょう。ここで「でも、先にこっちをやれって‥」「だって、他にも仕事が‥」という使い方は悪手です。

 なぜなら、「だって」「でも」といった「But」系の接続詞は前の言葉を打ち消す逆説の意味を持つからです。

 つまり、頭にこれらのフレーズをつけるだけで理由を述べる前から「お前の言う事は間違っていて、私が正しい理由を教えてやる」という予告のメッセージになってしまうのです。もっとフランクに言えば、「でも」を返答に使う時の意訳は「やんのか」です。

 よく「謝罪の時に言い訳はNGだぞ」という格言をいただくことがあるのですが、「よし、じゃあ自分は言い訳をしないぞ」と思ってもこの「But」系の逆説の接続詞が顔を覗かせた段階でアウトになります。それならば、でも・だっては使ってはいけないぞというアドバイスの方が実践的です。

 言い訳をせずに「だって‥すみませんでした」と言ったとしましょう。言い訳はしていませんが、逆説の接続詞があるだけで「不服があるけど、黙っていた方がトクだからここは謝っておく事にしたわ」という意味に取られます。これだけで反省してなさそうと思われて目を付けられます。

 このように接続詞にはちゃんと意味があります。意味がないのであればこの印象にはなりません。大事なことなので繰り返します。「だって」「でも」は使わないでください。

目をつけられたい人必見!たった一言で目をつけられるマジックワード

 さらに最悪なのが、「でも‥」「だって‥」だけを言って二の句が継げずに止まってしまう場合です。これは目をつけられたい人には1番おすすめの反応になります。

 まず、先ほども言ったように「だって」の段階で相手の言う事を否定するというメッセージになります。そして何も理由が出てこないということは「特にこれといった理由はないのだけれど、私は不服でお前の意見は間違っている」というメッセージになってしまうのです。もう激アツですよね

 その結果、「理由もないくせに、私に逆らうし忠告も聞かない生意気で傲慢なヤツ」と認識されるのでバッチリ目をつけられてしまうわけです。あなたも目をつけられたければ「だって‥」とだけ言えば一発です。簡単ですね。

 よくわからないのに目をつけられていると言う人は、よくわからないまま無意識に「でも‥」「だって‥」とだけ言っている可能性があります。無意識ですし、一言だけだから記憶に残りませんよね。でもこの一言だけというのが1番マズいです。

 それならば「こういう理由で無理でした!」と接続詞無しで言う方がマシです。なぜなら、「だって」で相手の言葉を打ち消していませんし、それゆえに「こういう見方もありますよね?」というお伺いの意味も含むからです。ここに「すみませんでした」の一言をつける事ができれば、理由と謝罪をした事になりますから怒られたとしても状況はまだマシです。

「でも」は対立を生み、「だって」は自己正当化を匂わせる

 石黒圭著の「文章は接続詞で決まる」でも、「でも」「けど」などの逆説の接続詞の使いすぎは対立を際立たせ、「だって」は自己を正当化するために理由を選んできて言うという性質があると述べられています。1)

 「でも」「だって」を多用してしまうと、自分と対立してくる上に自己正当化するヤツ、という認識がされてしまいます。この態度はかなりヤバいヤツですよね。これを職場でやってしまうとあっという間に目をつけられやすい人の完成です。

 「でも」「だって」は使い所が難しいですから、慣れるまではコミュニケーションで全廃してしまっても構いません。ただし、接続詞をうまく使えると話がわかりやすくなりますから、わかりやすい説明をしたい人はおさらいしておくと良いかもしれません。

 接続詞を理解できると目を付けられにくいだけではなく、話をわかりやすく伝える事もできます。理解しやすさの事を認知的負荷というのですが、言葉のとおりで認知的負荷が高い≒相手の頭の負担になり、話を理解するのが大変になります。接続詞を上手く使えるとこの相手の認知的負荷を減らす事が出来ます。認知的負荷が高いと話が分かりにくいと思われてしまい、最悪の場合「何言ってるかわからない頭の悪いやつ」と思われてしまう可能性があるのです。

告白する時でさえ接続詞は大事

 たとえば、告白するときに「君の事が好きなんだ、ずっと好きなんだ」と言われても「はあ、そうなんですか」となってしまいます。

 ここでも接続詞を使いましょう。「君の事が好きなんだ、だって初めて会った時に僕に優しくしてくれたし、それに他の人にも分け隔てなく接してくれているのも知ってる。それからずっと素敵だなと思っていたんだ」と話せば「そこまで言うんだから本気しれないな」と思ってもらえる確率が高まります。話した時に「だからどうしたんですか?」と思われるのは接続詞が上手く使えていないのかもしません。

接続詞をうまく組み込めば、自ずと相手を説得しやすい言葉は出てきます。「あなたが好きです。だって、あなたが好きだからです」という文章は不自然ですから、どこかの政治家でなければ「だって」の後には必ずその人が好きな理由を説明する文章が続きます。この一連の流れにこそ人は心を揺さぶられるのです。

 このように自分の気持ちや考えを伝える時に接続詞というのは良いフックになりますし、話のわかりやすい人は優秀な接続詞の使い手でもあります。わかりやすい話は当然説得力がありますから、目をつけられないだけではなくあなたの発言の影響力を増すこともできるでしょう。

たとえば、「それでも、私たちにはやる事があるのです!」「だからこそ必要なんです!」といったようにリーダーシップやカリスマ性がある人は適切な場面で効果的な接続詞を使いこなしています。このように接続詞を使いこなして話し上手になりたい方は「文章は接続詞で決まる」あたりがきれいにまとまっていて、接続詞を使いこなせるようになるには良いのではないかと思います。

自分の言葉を繋ぐのに使うのはOK

 先ほどの告白の例では「だって」の接続詞を使いましたが、これを不快に感じた人は少ないと思います。

「私はこれがいいと思う。でも、今回はふさわしくないと思う」
「確かに相手は強いかもしれない。でも、私は君たちの方が強いと信じている」

 「でも」「だって」は本来こういう使い方をします。これも別に不快ではありませんよね。それは自分の言葉を繋いでいるからです。ですがマズい会話では相手の言葉と自分の言葉を繋ぐのに接続詞を使ってしまいがちです

「今回は準備不足だったね。もう少しリサーチをした方が良かったんじゃないかな」→「でも、チェックをお願いした時そんな事言ってませんでしたよね」

 こうして相手とと自分の文章を繋げて、言った事を台無しにしてひっくり返してしまうわけです。相手が思ってもいないような事をくっつけて一つの文章にしてしまうわけですから、「話を聞くつもりがない」と思われて目をつけられるのも当然です。

 これは滑った芸人に「からの〜?」と言うのと一緒です。あのフリは「いや続かねえよこれで終わりだよ、勝手に下の句があるみたいな事言ってんじゃねえよ」とイラっとさせて笑いを取るわけです。

 テレビなら良いかもしれませんが、普段の生活で相手が思ってもいないような下の句を勝手に追加する事は相手をイラッとさせるだけです。笑いも取れませんのでやめましょう。相手の話は一区切りついているのですから、あなたの主張と勝手に繋げると非常に心証が悪くなります。相手の言う事に一理でもあるならなおさらです。

「でも」「だって」の代わりに‥何も言わなくていい

 というわけで、「でも」「だって」系の接続詞は扱いが難しいのでコミュニケーションと接続詞の扱いに自信が持てるまでは不採用にしましょう。

 では代わりに何を使えばいいのか?

 答えはさっき出てきました。使わなくていいんです。「でも」「だって」で余計な前振りをしたばかりに目をつけられるのですが、別に無くても会話の意味が通ります。ですから扱う自信が無いなら使わない。これだけでOKです。

 たとえば、上司から仕事の締め切りが差し迫って苦言を呈された時を考えてみましょう。

Q.「もっと早く仕事に取り掛かるべきだったんじゃないか?何か理由でもあったのか?」
A1.「でも、人が足りなかったんです」
A2.「人が足りなかったんです」

 A2の場合は聞かれたことに答えているだけなので、「やらなかった事について理由をお話しします」という態度になります。場合によっては生意気なやつと思われるかもしれませんが、いきなり目をつけられるまではいきません。ですが、A1の方が口答えをするような印象になります

 さらに、石井裕之著「カリスマ 人を動かす12の方法」では、「でも」にはその前のフレーズを打ち消し、その後を強調する作用があると述べられています。2)

 この論理でいけば「でも」の後に言い訳をすれば逆説と後の文章が強調されますから、「あなたの話は全く賛同できないし話になりませんね。あなたの意見が間違っている事を私が教えてあげましょう。人が足りなかったんですよ、そんな事もわからないんですか?」くらいに取られるわけです。いくらあなたがハードコアだとしても、この態度は危ないですね。こうして人は目をつけられる事になります。

 出典の補足になりますが、この本にはカリスマ性を高めるような行動指針についても書かれています。全てがその通りだと同意できるわけではありませんが、具体的な行動指針が12つ書かれており、目をつけられないようにするだけではなく、求心力を高めるための最初の一冊には良いでしょう。

堂々とした話し方を学べば目をつけられない

 もし相手の主張に納得できなければ、「でも」なんて使わずに「ちょっと待ってください。今◯◯と言ったのはどういうことでしょうか。そのような事は言っていなかったと思いますが」と相手の意見を受け止めて確認し、こちらも意見を言えばいいのです。

 そして相手の話でおかしい点があった時、「でも、先ほどと言っていることが違いますよね?」と理路整然と主張されたのであれば、言われた側に迷いが生じますから、目をつけられるどころか気づけばあなたが目をつける側になっています。この時に知的な雰囲気をまとっていると「この人には敵わない」と相手も怯みます。時にガッツがある奴だと一目置かれる事もあるでしょう。これが接続詞のうまい使い方です。

 ところが多くの「でも・だって」系ヘビーユーザーはどこか自信がなさそうな声で開口一番「だって‥」から初めてしまいます。それを見れば「大した理由もないのにナマ言うんじゃねえ!」となり、「社会人としての姿勢が甘い」とかいちゃもんに近い事を言われ目をつけられる事になります。

 ですから「でも・だって」を使わないことはもちろん、併せて影響力や説得力を第一印象を良くする振る舞い評価されやすい声などについて学んでおくことをお勧めします。自己主張は信用とも関係していますから、言うべきことは言えた方がトクする事が多いです。

でも・だっては使わず、科学的根拠のあるしゃべる練習をする事ね!

引用・参考文献

1)石黒圭. 文章は接続詞で決まる. 東京, 光文社, 2008,
2)石井, 裕之. カリスマ人を動かす12の方法: コールドリーディングなぜ、あの人は圧倒的に人を引きつけるのか?. 日本, 三笠書房, 2006.

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