この記事まとめ
・「結果が全て」と言う人は、ただ望ましい結果が欲しいという感情論で言う人と、結果を出すための過程を求めている人の2種類がいます。
前者は公平世界仮説という思い込み(バイアス)にとらわれているため、結果論になりやすく役に立たない考え方になりやすいです。
「結果が全てだから」
勝ち負けのある事や仕事ではよく言われますが、当然毎回良い結果が出るわけではありません。
結果が出ないと努力が足りないからだと怒られるのは本当に正しいのでしょうか?過程には意味がないのでしょうか?極論だとすれば、なにがどうおかしいのでしょうか?
実は「結果が全て」という言葉には二つの意味があり、みんな混合しているのです。そしてそれには人間の本能的な思い込みが影響しています。
今回は「結果が全て」という言葉について、心理学のエビデンスを元になにがどうおかしいのか、また結果のための正しい努力について解説していきます!
努力をしても必ずしも結果として報われるわけではない
今回参考にするのは2005年CL Haferらの論文で、人間の努力に対する思い込みについて調べてくれたものになります。1)詳細は以下の通りですが、後からわかりやすく解説しますので安心してください。
- 人は「公平世界仮説」といって、良い事をすれば報われるし悪い事をすれば罰せられるという考え方をしやすい。これは生存するうえで、長期的な目標にまじめに努力する為に役立つ
- この考え方を保つ為に無実の人が苦しんでいるのを見た時でも非難したり合理化する事で納得させようという心理的なメカニズムが働く。こうする事で「努力は最後には報われるはずだ!」と自分を安心させることができる
- プライマリーサイコパシーと呼ばれる人はむしろ世界は不公平なものだと信じており、他者を操作する必要があると考える傾向にある
かんたんにまとめると、「努力は報われるはずだ!結果が出ていないのは努力不足、自己責任!」という考え方をするのは自分を安心させるためであり、正しくないけれど人間の思い込みとしては自然だということですね。
人間は努力さえすれば結果は出せると考える本能がある
以上の事から、人間には生まれもって「努力は報われるものであって、今結果が出ていないのは本人のせいだ!」と考えるクセがあると言えます。これが結果が全て(結果が出るまで努力しなかったお前が悪い)という思考になりやすいのです。
しかし、世の中努力ではどうにもならない事もあります。
落ち着いて考えれば当然の話で、「あなたがオリンピック選手になれなかったのはあなたの努力が足りなかったから!」という意見が無理筋なのは理解できるはずです。そう、世の中公平なはずがないのです。
ですが、世の中には頑張ってもどうしようもない事があるという事を認めるということは、ある意味では「相手や状況になすすべなくやられてしまう」事を認める事にもなります。これは自然界ではこの上ない脅威になります。
そこで、良い結果が出ない事は「努力の差」「やらなかっただけ」という事にしておけば、本気を出せば何とかなる(何とかなった)という事になるので頑張れば世の中はコントロールできると安心できます。だから「結果が全て」という事で不確実な世の中から目を背け続ける事ができるのです。
あなたの知性は本当に努力のおかげ?
もっと身近な例で考えてみましょう。あなたは今私の記事を読んでおり、良い判断をするために情報を集めて考えるという事をしています。
このように学ぶのが好きで、勘は鋭く、ピンチは回避し、チャンスをモノにする人も世の中にはいます。一方で、ストリートスマートの記事でも書きましたが、「どうしてそんなことしちゃったの」と思うような短絡的な行動を取る人も世の中にはいます。
さて、この思考の深さの違いは本人の努力の差だけなのでしょうか?ただ勉強不足なだけでしょうか?
今うまくいっている人は自分の努力のおかげだと思いたいですよね。今の立場になるために他の人が遊んでいる間もこうして勉強して考える努力をしてきたし、理不尽な事もうまく立ち回りながら精一杯乗り越えてきた。だから先の事まで考えられないのは努力が足りないからだ。調べてちゃんと考えればわかる、だまされるのも調べて考える努力が足りないからだ。そういう考えになりやすいのです。
しかし、あなたの思考の深さや賢さは短絡的な行動をしそうな時に「ダメだよ」と教えてくれる人や止めてくれる友達がいたとか、あなたの努力以外にも考えられる要素はたくさんあるのです。
こうした直感的に決めるとまずい判断をしやすいというのは他の研究でも言われていて、詳しくは二択で迷ったときは直感的に飛びつくな!機械的に決めた方がマシ!の過去記事でも解説していますので参照してみてください。
結果だけで全てを判断すれば安心(だけは)できる
つまり人間は結果と努力を強く結びつける事によって、努力さえすればなんとかなるという人生の必勝法があると思いたいのです。
もしどんな困難があっても努力さえすれば乗り越えられる。つまりすべて自分でコントロール可能で、努力さえすればどんなアクシデントが起きようと生きていく事ができる。こんなに心強い事はありません。誰でもそう信じたくなります。
しかし、困難を乗り越えたのはただのラッキーパンチだったり、流れに乗れただけ、他の人が気を利かせて手をまわしてくれていただけという事もよくあります。この世界は私たちが思っている以上に複雑で、自分が全部コントロールできるわけがありません。
あなたの学習能力が高いのは、たまたま勉強の才覚があり、かつ学べる環境が与えられたからというのも理由になります。あなたの努力は重要な要素ではありますが全てではないのです。
まとめると、努力は大事だけれど結果が出ない事を全部自分や相手の努力のせいにしてない?ということを立ち止まって考えないとマズい考えになりやすいということですね。
サイコパシー傾向の強い人は結果だけでなく過程も見る
ですが、ある人たちは努力すれば大丈夫という、この公平世界仮説の思い込みに惑わされにくいことがわかっています。それはサイコパスです。
サイコパスは感情を感じにくく相手を操作しウソをつきやすい傾向にあるとされています。さらにこのサイコパシーレベルの高い人は感情的な判断を下しにくいというのです。
良くも悪くも感情に流されないということですね。そして公平世界仮説というバイアスに惑わされず合理的な判断を下せるのは実はサイコパスだというのです。
サイコパスは理性的に複雑な世の中をありのままに受け止めやすく、この世は複雑で結果を完全にコントロールすることはできない、コントロールできるのは成功確率を高める事だけだという事を理解している可能性が高いです。
さらに感情に流されないため、自尊心を満たすためだけに損をするような行動もしません。いい気分になりたいという理由だけで自分の実績をドヤったりマウンティングをせず、「ここは謙虚に見せた方が印象をよくできるからトクだ」などを冷静に判断し印象の良い振る舞いをします。
しかしこれは言うほど簡単なことではありません。
過去記事では論文を元にした上手な自慢の作法や出世の科学といった記事を書いていますが、理屈ではわかっていても実際にはドヤりたいしマウントを取りたくなってしまうのが人間です。
しかしサイコパスは冷静に世の中を正しく認識していて、どちらの方がメリットが大きいのかという事を見極め行動することができるのです。ですから下手に嫉妬を買うこともありません。嫉妬の科学という記事に書いたような、優秀でもねたまれないような印象操作もお手のものです。
それなら、もしサイコパスの判断力をうまく使う事ができればメリットが大きいのでは‥?と考える勘のいい人もいるかもしれません。このアイデアについてはケヴィンダットン教授のサイコパスに学ぶ成功法則で良いサイコパスと悪いサイコパスの違いについて書かれており、このようなサイコパスの思考方法を取り入れるのも一つです。
「結果が全て」の意味は二つある
さらに、そもそも「結果が全て」という言葉には二つの意味があるという点に注意しなければなりません。
一つは今まで述べたように欲しい結果が出ない・安心したいために怒るただの感情論の場合。
もう一つは結果だけを追求した過程・行動を取れという指示の場合です。
一つ目のただの感情論であれば先ほどの公平世界仮説にどっぷりつかっている、バイアスまみれの人なので話は聞き流しても構わないでしょう。
一方、2つ目の理由で「結果が全てだ」という上司の意見はただの結果論や感情論ではありません。
「結果にこだわって過程を組み立てろ」という結果への効率性への配慮を指しているのであれば先ほどのサイコパスの「成功確率を高める」という思考と同じ理性的なものであり、不確実性を理解した上で自分がコントロールできることに焦点を当てていますから非常にクレバーな意見だと言えるでしょう。
つまり「結果が全て」とは欲しい結果が出ない・安心できないからと怒るという感情論で言っているのか、それとも行動指針として結果を掲げているのかという違いを分けて考える必要があるのです。
「結果が全て」で考える星野君の二塁打
話す側も受け取る側もこの二つは混合しやすく、認識の違いが誤解や議論を呼ぶことがあります。
たとえば一時期道徳の教材として話題になったものに「星野君の二塁打」という作品があります。
話のさわりとしては、監督のバントの指示を無視して「打てそうだから打ちたい」と二塁打を打った星野君に対して、「チームの統制を乱した」事から星野君は監督から試合の出場を禁止されるというものです。2)
これには道徳の授業よりもネット上で賛否があったようで、結果だけをみれば星野君は称賛されるべきでしょう。しかし指示を無視したという結果とはまた違うところで監督からペナルティを受ける事になります。
過程か、結果か
「結果が全て」という意味が本当に結果の如何によるものであれば星野君は罰せられる意味がなく、監督はただ指示に従わなかった星野君の嫌がらせや子供相手に意見の押し付けをした大人げない人物ともとれるかもしれません。
しかし「結果が全て」という意味が「バントが最も勝つ確率が高く、結果を追求する戦略を取る」を意味するのであれば結果を追求する過程からそれた星野君にはペナルティというのは理解できます。星野君の行動はただの結果オーライで別の悪い結果も十分考えられるからです。
こういった結果論を正当化するのは「シートベルトをしなくても事故が起きなかったから、シートベルトはいらない」というのと一緒であり、これが正しくないことは明白です。そして監督の「結果」には「子供にチームで戦う事について学んでもらいたい」という野球を超えた教育上の狙いがあったなら、星野君はなおさら求める結果から逸れた行動を行った事になります。
以上のようにこの話は「結果が全てだろうが、結果オーライじゃダメ」という事も示唆していると感じますし、私はこの監督は「打てなかったのは努力が足りなかったからだ」と叱責するタイプではないように思います。
もし星野君が社会人だとすれば、「打てそうな気がするから打ちたい」という意見具申の仕方が甘いという指摘をせざるを得ません。
監督の求める結果を理解した上で、「監督が勝利を追求しているのは理解しています。今の自分のバントの成功率は高くて8割、ならば今は狙い球も読みやすいですからヒッティングを仕掛ければ二人で一点を取れる確率の方が高いのではと思います」「チームで一貫した戦術を取るという意向は十分理解しています。そこで、チームの為に私なりに考えてみたのですが~」と根拠や考えを元にお伺いを立てるのです。
もちろん却下される事もあるかもしれませんが、意思決定者の判断に噛めなかった星野君は次回からさらに意見具申の説得力と自分の打撃への信頼を高めてもらう努力をすることになります。さらに星野くんはもっとずるくやれば、「打席で監督を見た時に、ヒッティングのサインに変わった誤解した」と故意ではなくあくまで錯誤と主張したりする力技だってあります。
‥とまあ小学生でここまでできると怖いですし、先ほどの研究にもあったように効率性への配慮ができるようになるのは多くが思春期以降です。
となると自分で考えて結果の為だけに行動する事は難しく、「監督の言う事には思考停止で従っておこう」か「イケそうだから打ってみよう」くらいが普通の小学生の考えではないかなと思います。ですからこの話も小学生には「監督おっかねえからオレは目を付けられないように従おう」くらいの教訓になっている可能性があります。難しいですね。
結果が全てだからこそ正しい努力を知る
まとめますと、結果に繋がりそうな戦略的思考をしていないがゆえに「結果が全てだ」と指導をされるのであれば真剣に受け止めるべきですが、ただ自分が望む結果を出してほしいから「結果が全てだ」という場合は「何言ってんだこいつ?」となってしまいます。
ですから指導する時もされている時も
「この人は結果への効率性への指導をしているのか?」
「それともただ結果が出ていない事を騒いでいるのか?」
を分けて考え、指導をする時も
「自分はこれから結果を追求する思考ができていない事を指導するのか?」
「それともただ結果が出ていない事にいらだっているだけなのか?」
という事を考える事が重要です。もちろん結果への効率性や過程にプロセスを当てた思考の方が正解である事は言うまでもありません。
そもそも「こうすればうまくいくはずだ」という未来の予測には不確実性・ばらつきがあります。そして多くの人がこの不確実性を無視しやすいのです。ですから「いい結果が出るかどうかは努力の量で決まる」という予測などもはや予測とは言えません。一つの結果が出るまでには努力だけではなく環境やタイミング、能力、運など様々な要素が絡んでおり、もっと慎重な洞察や分析、情報収集が必要なはずです。
このように難しい判断を簡単な質問に置き換えてしまうヒューリスティクス(経験則)の事をダニエルカーネマンはそのまま「置き換え」と表現しています。3)「努力すれば結果が出る」という予測をすることはまんまと置き換えのワナにハマっているわけです。
こういったバイアスやヒューリスティクスに対する知識があると良い予測や戦略を立てる事ができますし、上司がただわめいているだけなのかもわかるためお小言もアッサリ流すことができます。学びたい人は出典先のノーベル経済学賞を受賞したダニエルカーネマンのNOISEがうまくまとまっており、結果を追求した思考をしたい方にもです。
引用・参考文献
1)Hafer, Carolyn L., et al. “Belief in a just world and commitment to long-term deserved outcomes.” Social Justice Research 18 (2005): 429-444.
2)新版星野くんの二塁打. 日本, 大日本図書, 1988.
3)NOISE 上 組織はなぜ判断を誤るのか?. ダニエルカーネマン, 株式会社 早川書房, 2021.