すぐバレる嘘をつく人のナゾ
わたしもいろんな人に出会ってきたが、中でも強烈だったのがすぐバレる嘘を平気でつく人だ。
なぜどうしようもない嘘をついてしまう人がいるのか?
今回はそれを心理学の観点からひもといてみたい。
もちろん誰だって嘘をつくし、わたしもつく。
自分に都合の悪い嘘がバレると、わたしも他の人もしどろもどろになり、ばつが悪そうな顔をする。
嘘には少なからず罪悪感があるから当然だと、わたしは思っていた。
今回わたしが取り上げたいのは、どこまでも嘘をつく人だ。これには面食らった。
なにしろ彼らは自分の嘘が発覚しても、「相手が嘘をついている、わたしは本当のことを言っているんだ!」と自分の主張を曲げることがない。
その言葉と表情には迫力があり、自分は冤罪の被害者だと心の底から確信しているようだ。
あの目の奥の輝きは、とうてい嘘をついている者のものではない。
「もしかして自分が間違っているのか?」とこちらの自信がなくなってしまうほどに。
しかし状況や記録を確認してみると、どう考えても嘘をついているのはその人だということがすぐ判明する。
それどころか、彼らは調べればすぐに嘘だとバレることでも、自分から「ちゃんと調べてほしい」と力強く主張するのだ。
この人たちは一体なんなのだ?
なぜそんなすぐバレる、無理筋の嘘をついてしまうんだ?
嘘がバレても、なぜそんなに力強く「相手が嘘をついている」と言えるのだ?
そして、なぜ嘘がバレてもこの確信に満ちた眼差しでわたしを見ることができるのだ?
わたしは不思議で仕方がなかった。
もっとうまい言い訳はいくらでもつけるはずなのに。ただ往生際が悪いだけなのか?
平気で記憶を捏造する脳
それは、自分の言ったことが嘘だと思っていないからだ。
自分が嘘だと自覚していなければ、嘘のサインがなく確信に満ちている。単純な話だ。
実は、人間の記憶というものはそこまで信頼できるものではない。
むしろあやふやと言ってもよく、30.4%の人が嘘の記憶を報告したというデータもある1)(Scoboria.2017)。
この不思議な現象が起きる理由は、人間の記憶は「その都度生成される」ものだからだ。
人間が記憶を思い出す時は、保存されたひとつのムービーファイルを再生するのではない。思い出そうとするたびに、ジグソーパズルのようにピースをその都度組み立てるというモデルが有力だ。
このパズルを作るときに、「似た感じのピース」を間違えてはめてしまったり、その場で新しく作ってはめてしまうことがある。
これが結果として嘘になってしまう。
しかし、それだけではすぐバレる嘘をつく理由にはならないし、嘘にも程度がある。
「3日前の昼に塩ラーメンを食べました」が「3日前の昼に味噌ラーメンを食べました」に変わってしまうような思い違いはよくある。
でも、「今日の朝すれ違ってあいさつをした」記憶が、「さっきわたしを見下して挑発してきた。鼻で笑っていた」という記憶になるのはちょっと無理があるような気がする。
そんな記憶違いがあるのだろうか?
これがある枠組みから考えると現実に起こりうるのだ。
たしかに、わたしたちの記憶や想起するシステムにはいくらか欠陥がある。とはいえ大筋のストーリーはさすがに間違えない。
先ほどの例でいえば、「ラーメンを食べた」というのが大筋のストーリーになる。
ラーメンの味が何かは枝葉の情報だ。枝葉の情報がすり替わっても、「ラーメンを食べた」という大筋のところは間違えない。
この「大筋の」というところがポイントで、私たちが「このエピソードはこんなあらすじです」というまとめ方をするとき、編集者によっては大きく話が歪んでしまう。
たとえば、桃太郎の話を多くの人は「悪者を倒す桃から生まれたヒーロー」とまとめるだろうが、「話し合いではなく力での解決を正当化するプロパガンダ」とまとめることもできなくはない。
同様に、何に注目するかによって、「記憶のあらすじ」は変わってしまう。
この記憶をまとめるときに、感情がからむと特に厄介だ。
人間というのは、感情的な部分の記憶は向上するが、感情的ではない詳細の記憶は減少してしまう傾向にある2)(Elizabeth.2005)。
たとえば、「”すごく嫌いな人”と二人でラーメンを食べに行くハメになった」という話なら、「すごく嫌いな相手と過ごして不快だった」という感情的な部分が話のメインになりやすく、何を食べたかは枝葉の情報になる。
この場合だと、何を食べたのか思い出す時に「うどんだったかな」と枝葉の記憶が歪んでしまう可能性が高まる。
このように、どこがメインと考え、何に注目するかがズレている人は、「大筋のストーリー」がズレてしまいやすいのだ。
強い信念が無意識の嘘をつかせる
この何に注目するかを決めるものの一つに、人間には「スキーマ」というものがある。
スキーマとは、その人の思い込み・信念のようなものだ。
たとえば、「わたしは他の人より劣っていて、いつも仲間はずれになる」というスキーマがある場合、その思い込みに少しでも当てはまる出来事を中心にして、大筋のストーリーを生成してしまう。
たとえば「相手が笑っていた」「こちらを見ていた」という事実に、「わたしは仲間はずれ」というスキーマの味付けがされるとどうなるか。
それっぽくストーリーをゆがめ、「あの人はわたしを見下してあざ笑っていた」と事実と想像が混ざり合った存在しないストーリーになってしまう。
この事実と想像の境界は、思った以上に脆弱だ。油断すると「間違いなく事実として起きたこと」になってしまう。
このスキーマは誰しも・何かしらあるものだが、それだけで事実が想像に食われるわけではない。
なぜなら、わたし達は大筋のストーリーがずれていたとしても、「枝葉」の部分を認識していれば修正できるからだ。
たとえば、「朝すれ違ってあいさつをした時にこちらを見て笑っていたけれど、一緒にいた人も笑っていた。よく聞くと、狩野英考さんのYoutubeの話だった」という情報を見落とさなければ、「確かにあのYoutubeは面白いな」で終わるはずだ。
しかし残念なことに、感情的になっていると枝葉の情報は見落とされ、記憶にも残りにくいため、ストーリーを修正するチャンスが大きく減ってしまう。
しかも情報の見落としが多いと、ストーリーを完成させるにはパズルのピースが足りない。
これは脳にとって非常にすわりが悪い状態なので、欠けた情報はどこからか持ってきてでも無理やりストーリーを完成させようとする。
ここで、欠けた情報を埋めるのがわたし達の「想像」だ。
つまり先ほどのスキーマをもとに、それっぽい話をつじつまを合わせるために捏造してしまうと言ってもいい。
このストーリー補完が無意識に起きてしまうと、人間はこれを事実だと思ってしまう。
さらに悪いことに、感情的になっていると自分の記憶に自信を持ち、修正するのが難しくなる。
どうも人間は、感情的な事に対して「よく覚えている」という感覚にはなるが、記憶の正確さを向上させることはないようなのだ3)(Sharot,2004)。
感情的になると記憶が不確かなのに、過信だけ加速すると言ってもいいだろう。
だから、仮に話が違うと伝えても「そんなこと言ったって、絶対にこうだったんだもん!」となってしまう。
感情論は論理的なだけではなく、事実の認識すらゆがめてしまうこともあるのだ。
「無自覚のウソ」という恐ろしさ
「あの人はすぐに被害者ぶる」と言われる人がいるが、悪気があるのではなく、本人にとっては「間違いなく本当にあったこと」として認識されている可能性がある。
これは自覚がない分、非常に往生際が悪く見えるかもしれない。
結果として、すぐバレるような嘘を堂々とついているように見え、事実を伝えても「そんなはずはない!」と怒ったり、ひどくショックを受けたりするのだ。
自覚がないとはいえ、自分の想像でしかない話を相手に押し付けてしまうと、末路はあまり健康的な人間関係になりそうにない。
注意してほしいのは、この現象はあなたにもわたしにも、少なからずあるということだ。
この手の話は「いるいる!そういう人!」で終わらせてしまいそうだが、勘のいい人は「無意識ということは、自分も気づけていないのでは?」と気づく。その洞察は非常に重要だ。
無自覚というのは恐ろしいもので、わたしもこんなエッセイを他人事で書いているが、このニセの記憶の呪縛からは決して逃れられない。
見栄を張るなどの自覚的な嘘は、自分の虚栄心と向き合えれば直せるかもしれない。
一方、この無自覚の嘘は知識がなければ正していくのが難しく、そもそも直す必要すら感じない。
だって、「自分は事実を話しており間違ってない」のだから。
だから自分も周囲も苦しむことになる、全員が被害者だと感じる厄介な代物なのだ。
この手強いニセの記憶に対して、わたし達にできることは、「知らないうちに思い違いをしているかもしれない」と自分を疑い、謙虚であり続けることだ。
自分にも他人にも、ニセの記憶があることを前提に行動するのだ。
そんな「自分の記憶には自信がない」という前提のあなたの行動は、非常に謙虚に見え、皮肉なことに信頼できる人だと思われるだろう。
自信は自分の記憶が正しい証拠になるとは限らないと肝に銘じておこう。

ほかにも心理学の知識やライフハックを紹介しているので読んでみてね
ワンランク上の心理学セレクション
引用・参考文献
1)Scoboria, Alan, et al. “A mega-analysis of memory reports from eight peer-reviewed false memory implantation studies.” Memory25.2 (2017): 146-163
2)Kensinger, Elizabeth A., et al. “Memory for contextual details: effects of emotion and aging.” Psychology and aging 20.2 (2005): 241
3)Sharot, Tali, Mauricio R. Delgado, and Elizabeth A. Phelps. “How emotion enhances the feeling of remembering.” Nature neuroscience 7.12 (2004): 1376-1380

